G3A3レビュー編集後記

VFC/UMAREX H&K G3A3 レビュー 【ガスブロ―バックライフル】

いやぁ、どうにかこうにかG3姉様のレビュー書き終わりました~。(5/9)
実に7年ぶりのレビュー記事作成で、正直勝手が分からなくなっちゃってまして、結構話が右往左往しちゃった感がありますが・・・。
まぁ、おいおい修正していこうと思うです。

前回のレビューが7年前ともなると、もはやどういう手順でどのくらいの期間を掛けて執筆していたのかも思い出せないんですけど、今回のG3姉様に関しては、手元に届いたのが4/21の夕刻、とりあえずの写真を撮影したのが翌22日でそれから弄り回しながらレビューのプロットを考えつつ、お仕事をこなして、本格的な写真撮影が5/3、そこから実際にレビューページの作成を開始して、最終的に公開出来たのが5/9ということで、この間18日。半月以上かかるんだなぁと再確認。でもそれだけの時間を掛けただけあって、生みの苦しみと出来た後の達成感はひとしおでしたね。自分はやはり文章を書くのが好きなんだなぁと思いましたわ。

まぁまだトップイメージ撮れてないんですけどね(苦w

そちらの方は近日追加公開予定なので、お楽しみに。

しかし、自分も少々銃は詳しいつもりだったけど、まだまだ知らない事ってあるんですねぇ。今回のG3に関しても、今更ながら「へぇ~」ってなる事がいろいろありまして、本編中では流石に長々しくなるので、省いたんですけど、備忘録的にこちらに記録しておこうかと思います。以下はご存知の方も多い事だとおもいますので、読み飛ばして頂いても結構ですb

まず、G3を取り巻く歴史ですね。

第二次世界大戦において、欧州を混沌のるつぼに陥れたナチス率いるドイツ第3帝国が連合軍の反転攻勢の結果降伏したのは1945年5月8日。ポツダム会談の結果、ドイツはアメリカ、イギリス、フランス、ソ連の4ヵ国によって分断され、非武装化、非ナチ化が行われることになったわけですが、徐々に冷え込んでいたアメリカとソ連の関係がいよいよ表面化し、1948年ソ連が占領していた地域で東ドイツマルクを発行するのに対抗して、アメリカ、イギリス、フランスの占領下である”トライゾーン”ではドイツマルクを発行したことで完全に分断構造となって、最終的にドイツ連邦共和国(西ドイツ)とドイツ民主共和国(東ドイツ)に分断されます。ドイツ連邦共和国では、1955年に主権回復を宣言して、ドイツ連邦軍の再編が始まりました。

と、これがG3が登場するバックボーンなわけですよ。

それで、G3の血統についてですけど、そもそもは大戦末期モーゼル社で開発されたStG45(M)が源流で、敗戦後モーゼル社はフランスに接収されることになり、StG45の開発はローラー遅延式ブロ―バック機構を開発した、ルートヴィヒ・フォルグリムラーとテオドール・レフラーの二人によってフランスの兵器研究所で完成したものの、フランスは1946年、第一次インドシナ紛争が勃発したことで採用を白紙撤回、ルートヴィッヒとテオドールの二人は1950年にスペインの特殊素材研究センター(CETME-セトメ-)に移籍してさらに研究を重ねていき、最終的にセトメ・モデル2というアサルトライフルが誕生しました。

で、話は戻って、当時西ドイツでは再軍備急いでいました。小銃も同じで、東ドイツにはすでにAK47を中心とした小銃の配備が急速に進んでいて、それに対抗する為の正式採用小銃の選定作業が急ピッチで進んでいました。
候補として挙がったのは、ベルギーFN社のFAL、スイスSIG社のSIG510、セトメ・モデル、アメリカアーマライト社のAR10の4機種で、それぞれ、G1(FAL)、G2(SIG510)、G3(セトメ・モデル)、G4(AR10)と呼称されトライアルが行われていました。ここでやっとG3の名前の由来が分かりました。

これでG3(セトメ・モデル)採用かと思いましたが、そうは問屋が卸しませんでした、セトメ・モデルは開発当初7.92mm×33クルツ弾を使用していて、それをNATO標準弾薬の7.62mm×51弾に変更するのに手間取っていました、そこに登場したのが、1949年にモーゼル社を退社した、エドムント・ヘックラーとテオドール・コッホ、アレクス・ザイデルの3人が1950年に立ち上げたH&K社で、共同で弾薬の変更作業が進められました。

ドイツ連邦軍では、セトメ・モデルの開発の遅れから、一時G1であるFN-FALの採用を内定し、FN社にドイツ国内でのライセンス生産を打診したところ、先の大戦の遺恨から、ライセンス生産を拒否されてしまい、SIG、アーマライトとの交渉も難航、最終的にはG3であるセトメ・モデルが残る形となり、B型を元にH&K社にてMD3として完成し、1959年1月ドイツ連邦軍はこれをGewehr 3(drei)として正式採用しました。

とまぁ、G3の歴史をきちんと調べてみると、今まで知らなかったWWⅡ敗戦後のドイツと世界を包みつつあった東西冷戦の影を薄っすらながら勉強できました。

なお、正式採用後、Gewehr 3の生産はH&K社だけでなく、戦車砲や機関銃のイメージのラインメタル社でも行われていたようですが、ラインメタル社では小銃の製造技術が低く、最終的にはこれまた分担で生産されていた軽機関銃MG3の生産をラインメタルが、G3の生産をH&K社が担うことで決着がついたようです。

ということでね。長々としたメモでした。

それではノシ

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